人を変えることはできないけど

前回の記事で悩み事が生まれないコツについて私の自論を述べましたが、一つ大前提があって、それは「他人を変えることはできない」ということです。

それでも例外はあって、これはかつて卑屈でネガティブでそのうえ気が強くて頑固で救いようがなかった私が旦那に人生や考え方を変えてもらったからわかったことなんですが、「人生をかけて向き合えば人を変えることはできる」ということです。

逆を言えば、自分の人生をかけて向き合う覚悟も無しに他人を変えようとわざわざ干渉するのはある意味ナンセンスなことと言えるでしょう。

私が悩まない理由の一つとして、 他人を変えようとしない・他人は変えられないものだと割り切る・そういう経験をしたい魂もいるよねって受け入れること が前提としてあったのを前回の記事で伝え忘れました。

その気になる相手が変わるきっかけを与えてみることはできますが、結局のところ自分で変わるしかないので、成果を期待して干渉するのは自分のご機嫌を他人に委ねることになるのでご機嫌でいたければやめた方が良さそうです。
 

生殺与奪の権を他人に握らせるな

 
鬼滅の刃冨岡義勇アニメ画像
もうこれめっちゃ大好きな台詞なんですが、まさにコレなんですよ。

他人のしてくれたことに喜びや感謝の気持ちが湧くのはとってもハッピーで素敵なことなのでそこは大いに振り回されて良いと思うんですが、その逆のネガティブな感情にさせない為の距離感・放任・他人の自由の尊重は必要だと思います。

これがわからないで他人のしたことに感情を振り回されてブーブー愚痴垂れる子は逆にどうして正しい努力もせずに他人が思い通りに動いてくれると思った??と疑問が湧いてきちゃいます。意地悪な言い方してゴメンネ

普通に生きてるつもりでも人間関係で色んなモヤっとするシーンがあると思うんですよ、例えば
「フォロワーといいねがつかない」
「フォロー外された」
「ブロックされた」
「解釈違いだ」
「返事が返ってこない」
「貸したものが返ってこない」
「優しさを無碍むげにされた」
「話が通じない」
「仕事ができない」
「常識がない」
「空気が読めない」
「嘘をつかれた」
「多分私あの人に嫌われてる」とか。

こんなの私レベルから言わせてもらえば、 期待しすぎ・干渉し過ぎ・他人の自由を尊重してあげなよ って話しなんですよね。

生殺与奪の権(自分のご機嫌)を他人に握らせ過ぎ〜っていう風に見えます。
 

自分も自由だし他人も自由

「自由への介入はできない」ということを知っておくと人間関係でほぼほぼ悩むことはなくなります。

究極みんな必ずしも平和を望んでいるわけではないし、必ずしも幸せになりたいとも思っていないし、悩み事をなくしたいとも思っていないと思うんです。

だから私が自分のブログでいくら「こうすればみんな平和でいられるのに」「こうすればみんな幸せなのに」「こうすれば悩み事なんて生まれないのに」って書いたとしても、それを受け取るかどうかは読者の自由です。

でも私自身も自由だから、その時その時で一番書きたいことを書いています。決してそれを読んでくれる人がどれだけいるかとか内容に興味を持ってもらうとか変わるきっかけになるだとか自分をわかってもらえるだとかは大して期待せずに。

なので軽い気持ちで発信を続けます。
軽い気持ちで見てくれたら嬉しいです。

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