コミュニケーションの醍醐味

前回の記事の続きです。

※今回ここで言う「コミュニケーション」とは相手と話すということに特別なミッションや目的がないときの話しです。例えば何か決め事や悩みの相談や問題の解決といった議題があるコミュニケーションのみを重要視する場合に関しては別です
 

「ただ友だちと会って遊ぶ」ということが必ずしも最高の過ごし方とは限らない

「〇〇ちゃんと会えた」「SNS用のネタが撮れた」「プライベートの時間がとりあえず充実した」それだけで満足って思う方も少なくないと思いますが、私は最近それ目的のためだけに人と会うことはしなくなりました。

ああ今日は友だちと会って話せて良かった〜って思えるときというのは、お互い気持ちよくいられる良い波動でエネルギーの共有ができたときだと思うんですね。

話の内容としてはお互いの近況であったり共通の話題であったりと情報や景色の共有であるのは他と変わりないですが、それにどれだけ自分の本音であったり価値観を乗せることができたか・相手の本音や価値観を聞き出せたか(気持ちよく話してくれたか)だと思うんですよね。

コミュニケーションで自分が我慢しても良くないし相手が我慢しても良くないんですよね。仕事の接待じゃないんですから。

もしそれを仕事や薄っぺらいうわべの関係だと思ってたならどれだけ相手を気持ちよくさせたかだけが満足の基準になってしまいます。あるいはどれだけ自分が気持ちよくなったかだけが。

そういう繋がりは私はもう求めていません。

 

お互いに機嫌が良いときは上手くいきやすい

必ずしも同じ思想や同じ価値観同士でなかったとしても、前提条件としてお互いがご機嫌で心に余裕がある状態で意見の交換をし合ったとしたら、例え共感できない鵜呑みにできない内容だったとしてもひとまず聞いてあげて一旦置いておけるゆとりがあるので、真っ向から否定しないで受け入れられるし、その上で自分も素直な意見を相手に伝えることができるんですよね。

もし不機嫌で心に余裕がないときに自分の価値観では共感できない1ミリも理解できない反対意見を聞かせられようものなら、そのときは視野が狭くなっているのでそれを押し付けられているような、自分を攻撃されているような気分になって余計に相手の意見を拒絶してしまう、ということになりかねません。

機嫌というかその時の自分の共振している周波数によってものの受け取り方って恐ろしく違うんですよね。

まあ友だちと会う約束をしてお互い会えるのを楽しみにしていることが前提なので出会い早々不機嫌なんてことはフツー無いですが、例えばSNSとか、この私のブログとか、心の余裕の準備ができていないタイミングでいきなり共感しづらい意見を目にしてしまうと、いくら友だちでも「うわ…」って思いません?

だから対面じゃないネットに上げる文章で偏った思想だとかマイノリティの意見だろうなって内容を配慮なく書いちゃうのって相手を不快にさせるリスクでもあるんですよね。

対面だったらその時の相手の懐の余裕を何となく測れるからその場で会話を選べるので、「これは話せる」「これは話せないな」っていうのが自分の中でわかりますよね。

人によってはアルコールとか、その空間の雰囲気が心をほぐして余裕を与えていつもより素直になれるっていうのは大いにあると思います。

タテマエとかプライドとか無しにどれだけカッコつけず素直になれたかというところにコミュニケーション・人間関係のかけがえのなさを感じますよね。

非常に厄介ですが、お互いのご機嫌(波動)というのが実際のコミュニケーションの質にかなり影響するんですよね。

 

高度なコミュニケーションはワクワクします

仕事相手とか初対面とか上下関係とか利害関係とか、ある程度距離のある相手に対して話せることって無難なことしかないじゃないですか。

誰がどう見てもそうであると共感できるような、今日の天気であったり情勢であったり世間的に正しいとされる情報や知識であったり目に見える事実であったりゴシップや専門家や権威のある人の言葉であったり。

それだけでも十分無限に会話を弾ませることはできます。

でもちょっと踏み込んで、その人の独自の主観(見方によっては過激な意見)であったり、目に見えないものだとか、奇跡体験や物理的に説明できないようなこと、社会的な通念とは外れるもの、科学で証明できないような、信じるか信じないかはあなた次第みたいな話題を(相手を騙すような目的ではなく)素直な心から共有できると、人と人との心の距離ってグッと縮まると思いません?

東京リベンジャーズでタケミっちが過去にタイムリープできることを信じてむしろ尊敬が芽生える仲間たちとの絆みたいな

こういうのってかなり話す相手を選ぶと思うんですが、でもそれが通じたときって心が震えるくらい嬉しかったり心地よかったり感動するんですよね。

このような、人と人との信頼でしか成立しないコミュニケーションを私は「高度なコミュニケーション」だと現時点では思っています。

もっとレベルが上がると、言葉を介さないその人の愛による「行動」で伝わる真意もまたさらに高度なコミュニケーションと言えますし、その人の波動で何となく伝わるテレパシーも一種の高度なコミュニケーションですよね。

形式的なうわべのものではなくて、そういった ガチのコミュニケーションで感じられるワクワク感や幸せを私は求めているし、できれば共有したい と思っています。

 

コミュニケーションって面倒なだけじゃない

一年半前くらいまで、私は仕事でコミュニケーションするのに疲れてコミュニケーションっていうもの自体が面倒くさいもので嫌いなんだと自分では思っていました。

それはうわべのコミュニケーションやエネルギーの奪い合いしか人としてこなかったから醍醐味が分からなかったんだなって今となっては思います。

今回の記事も、薄っぺらいコミュニケーションが無意味だと一蹴するわけではなく、コミュニケーションの質を上げてワクワクするような体験を増やしたいなと思ったらこういう思考の選択肢もあるよっていうメッセージを伝えられたらなと思って私の考えをまとめてみました。

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