「快感」と「幸せ」は別物

最近気づいてしまったこと。

・自撮りが盛れること
・加工で詐欺れること
・ただ美容筋トレを頑張ってる自分
・コスプレ上手にやって褒められること
・外見の美しさを褒められること
・ただ高いものを持つこと
・ただ美容にお金をかけること
・ただどこか旅行に行くこと
・友だちとただ遊ぶこと
・ただ流行りに乗ること
・ただ写真映えを求めること
・それらで現実逃避をすること

「ただ」と付けたのは中身がない形骸的なものという意味で。中身に意味を持たせるなら話は別ですが。
どれも一時的にテンションが上がって快感や満足感が得られるかもしれないけれど、それが本当に「幸せなこと」かと言ったら疑問に思うんですよね。

いつか令和の子とかもっと新しい世代の子たちが「昔の人たちはこんなことに躍起になって束の間のご機嫌のために時間やお金を使っていたんだね」って別の動物の生態を見るが如く思うのかもしれないねって話を旦那としてました。

ずっと前、労力と結果が見合わない点や自らを晒しものにしている点からコスプレイヤーってドMだよな、究極のオナニーじゃんっていう非オタク目線から言ってもらった痛烈なコメントが私の中で思い出されました(笑)

何を幸せと感じるかは人それぞれって言いますが、 自分にとっての幸せとは何か(自分だけが感じられる幸せとは何か) を知らないと、わかりやすい自分のエゴを満たす「快感」だとか、他人が見て「いいね」と思うような見栄えにこだわること(キラキラ系)こそか幸せなことなんだと思うようになります。

私も流されてたんですよね。
それがあたかも自分が自ら選んで感じている幸せなんだと思い込んで。

でも本当の幸せ、例えば死に際で気づく人生の幸せとかって、世間体を気にせず自由に生きたかどうかだったり、凄く地味で些細なことだったりするんですよね。

私の場合その一つとして、2歳の頃から持ってる「うぱ」と名付けたアンパンマンのぬいぐるみと、5年前から毎晩一緒に寝てる「おもち」と呼んでるすみっコぐらしのねこのぬいぐるみがいて、それと遊んでいるときっていうのは人には説明できない言葉では言い表せないような愛と幸せがそこにあるんですよね。

この2匹は代えが効かないんですよ。
長年寄り添った愛着があるんです。

多分、私以外の他の誰もその汚いぬいぐるみを奪ってまで欲しがらないでしょう。私にしかない価値なのです。

こういうのって、ありますよね。
家族とか、パートナーとか、ペットとか、自分だけが大事にしている宝物だったり、愛着のある「味」「匂い」「音」「空間」とかもそう。

本来自分が一番愛するものたちをほったらかしてまでお金で買える快感、人にマウントとって得られる快感ばかりを求めに行かなくてもいいなって思ったら自分にとって何が余計だったかがわかる感じがしました。
例えば顔の良さとかってぶっちゃけマウントだし

これらはあくまで一例で、他にも自分ならではの観点で幸せを感じれるシーンがたくさんあるかと思います。

私は今まで温かい幸せも快感も満足も全て手に入れて充実させてきたつもりでしたが、終わりのない承認欲求やエゴを満たすという快感の中毒性にはだんだんと意味を見出せなくなってきたので、自分の人生で割く時間の種類を整理しはじめたところです。より幸せに生きるために。

別に隠居するのがいいと言ってるわけではありません。若いなら流行や派手なことで大いに快感を満たしてあげればいいと思います。今しか楽しめないことの一つですからね。
でももしそれらの快感に一喜一憂したり気持ちを振り回されることに飽きてきて、快感を得ることだけが幸せな人生ではないなって気づき始めているとしたら、こういう思考の選択肢もあるんだよっていうことをメッセージとして伝えられたらなと思って私の考えをシェアしました。

人とのコミュニケーションで得られる幸せについての私の最近の気づきもとても大きなテーマになるのでそのうち言語化できたらしたいなと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。