コスプレイヤーの抱える矛盾

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コスプレという趣味にある意味で限界を感じてきた今日この頃です。

友だちとの併せありきならコスプレは遊びや出会いの「手段」になりますから今回の話は別ですが、ひとりでにコンスタントに「次はこのコスプレがしたい!」っていう風にはならなくなってきました。

コスプレを娯楽とするにはあまりにも苦労があり過ぎて、普通にモチベーションが無いときは無いんですよね。仕方ない。

コスプレイヤーだからって定期的にコスプレしてなきゃいけないってわけじゃないですからね。趣味ですし。
 

コスプレイヤーの矛盾と葛藤

そもそも版権もののコスプレってその作品やキャラクターが著名で人気なだけであって、コスプレをしてる我々はホント借りて遊んでるだけなので(まさに仮装であり仮面を被って)、コスプレのクオリティを求めるならばいかに自分を殺して生かしたかの勝負というか「ありのままの自分」で容易に評価され認められる世界ではないんですよね。

「キャラクターになりたい」思いと「自分じゃなくなるのが嫌」っていう思いが混在してるのが多くのコスプレイヤーの葛藤だなって思います。

最近はメイクと加工が上手くて極限まで自分を殺してキャラクターに近づけることができるいさぎよさと技術を持って努力できる人が急に伸びて評価されているなというのがうかがえます。

だから結局無個性のみんな同じ顔という風に言われちゃったりもしてますけどね。当たり前って話よ

それでも評価を得たければ創作的な努力・見せ方に振るか、「自分」に愛着を持ってもらってファンをつけるしかないと思います。

それも分からず自分を殺す勇気もないのにありのままの自分で万人に受けようとしてるのか知らないですが数がつかないことにブーブー言うのが目に入ってしまうと「自分のこと(矛盾が生じてること)が分かってないんだろうな」って思ってしまいます。上手くやらないでブーブー言うのもその人の自由ですけどね
 

私の視点

何かこうやって文章にして心の問題を整理するとオエッて気持ち悪くなるほどコスプレイヤーってくだらなくないですか?

評価や反応を気にすればするほど私の中でコスプレは意味のないものになるのを感じます。

かつては評価や反応が目に見えれば見えるほど面白かったコスプレ活動だったんですけどね、ちょっと価値観がアップグレードされたような気がします。

単純にやりたいことをやりたいようにやってそれを出せたという経験、誰かと思い出や情報を共有できたということに価値を感じます。
何よりその過程、その瞬間を楽しめたかが一周回って重要だと思います。

人の成長は直線状の二元論じゃないと思っていて、螺旋状に次元が上昇していくものだと思っているので、楽しいのが大事な初心者レイヤー時代と評価が大事な中堅レイヤー時代を経てまた楽しいのが大事だと気づいた今があります。また次は前とは違った意味で他者からの評価や反応を受け取れる成長した自分も今後あるかもしれないと思っています。

何が正しいか、何に価値があるか、それこそ人の数だけ見えてる世界・真実が存在するものなので、常に評価と向き合って一生懸命コスプレしてる人をdisってるつもりは全然なくて。

私のHPでは現時点で私の見てる景色を共有したいと思ってこんな内容で書いてみました。

 

ただのファンだから

私たちってコスプレをする・それ見て楽しめるほどのその作品やキャラクターのファンってことじゃないですか。

それを自分のコンテンツにしちゃうっていうのがそもそもの矛盾で、絵描き文字書きその他同人活動の中でもコスプレってやりようによっては「創作」の過程をほとんど経ずに顔の良さスタイルの良さとあとは買って着るだけで一応コスプレってできちゃうじゃないですか。

自分をコンテンツ(人気者)にするための手段としてのコスプレをしてるビジネスマンあるいはホントにただの人気者や構ってちゃんと比べちゃダメですよ。野心家がかじりつくほどコスプレ文化やアニメ作品がメジャーになったことを喜びましょうや。

愛があるだとかどうとか張り合ってもしょうがないというか自己満を超えて他者と比べて評価を求めてしまうとあとは自分が苦しむだけでしかないのがわかりきってるジャンルだと思うんですよね。

ファン同士で好きを共有して楽しむ活動としてのコスプレをやっていきたいなと思います。

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