シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想

シン・エヴァンゲリオン劇場版考察感想ATフィールド人類補完計画心の補完

エヴァンゲリオン、終わらせてきました。
物語に関してのネタバレなしでエヴァという作品の哲学やメッセージ性に関してだけ言及したいと思います。

エヴァのことは昔のアニメでチラチラッと見ただけでうっすらとしか把握していなかった作品なんですが、一応名作だしいつかはちゃんと観たいなって思ってました。

職場で関わる人らもエヴァ良かったよ、中学生の娘が絶賛してたよとか言ってて「若い子でも観れるんだ~」と思って私はエヴァという作品に期待を持って昨日アマプラで新劇場版の序、破、Qおさらいして旧劇も観てから今日シン・エヴァを観に来ました。

結論から言うと、おさらい・前準備全く無しでこのシン・エヴァだけ観て全然大丈夫でした。

エヴァの考察とかエヴァ観た人が語りたい語りたい言って盛り上がってるのを見て、私は「そんなにか?」と思ってめちゃめちゃ期待しすぎてしまいました。
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↑近所の映画館にいたエヴァ初号機

 

各登場人物のエゴを大紹介!って感じ

作品のメッセージ性としての大筋は昔のTVアニメシリーズの25話、26話(最終回)と一緒なように思います。
いかりシンジ、彼の場合」、「惣流そうりゅう・アスカ・ラングレー、彼女の場合」、「綾波あやなみレイ、彼女の場合」、「葛城かつらぎミサトの場合」…と各キャラクターの心の補完についての説明がTVシリーズ・旧劇では描かれきれなかった部分(碇ゲンドウ、碇ユイ、冬月コウゾウ、赤木リツコ、加持リョウジ、渚カヲル)がシン・エヴァでやっと完結したかなって感じでした。加持さんについてはちょっと説明不足かもですが

最近コジコジとか宇宙的・異世界もの、スピリチュアル系に目覚めてるというか関心が寄ってしまって「自分大解放!」を怖がらなくなってきた私からしたら、ATフィールドなどという心の壁ガッチガチのみんな(各キャラ)が自分のエゴに気づいてあるいはそれを完遂し手放していくいく様子は、実に3次元的、人間的ですが、普段から自分の心とガチで向き合う習慣のある人間からしたら陳腐に見えてしまうんじゃないかなと思いました。や、めちゃめちゃそれぞれの描写自体はおもしろいんですが、私がエヴァという作品にもっとなにかあるんじゃないかとワクワク期待しすぎていただけなんです。

なので普段本当の自分と向き合う機会を逃してきた人他人との垣根かきねや距離感がわからなくて生きづらさを感じている人自分の思考や行動に対してなんでも理由づけや言い訳を求めたがる人にはと~~~~っても刺さる(気づきの革命を起こす)作品かと思います。
 

昔のアニメの“完結”
 「エヴァを終わらせる」という意味ではとても価値のある作品だったと思います。  
 
エヴァの描くリアリティは各キャラクターの心の壁、寂しさ(心の補完)、生きる不自由さにフォーカスされていて、他者との関わり合いに社会性が求められるのが前提であったり、自分という人間が存在する「理由」や「価値」に執着した物質的でちょっと重い波動の、言ってしまえば古い時代の価値観です。

なので生きやすい新しい価値観をすでに獲得している(タテマエや理論に依存しない・思考を縛られない)人からしたら期待してみるとちょっと拍子抜けします。
推しキャラを観に来たのなら各描写は公式・庵野秀明あんのひであき監督からのサービス提供そのものなので作品のファンとしては歓喜・大絶賛そのものなんですけどね。

確かに今までのTVアニメシリーズや旧劇場版の内容だけではエヴァという作品には説明不足があり過ぎて、視聴者は細かい描写などから庵野秀明監督のメッセージを考察するしかなかったため、永遠に完結しない作品になってしまっていたと思います。

ちょっと時代遅れの価値観ではあるけれど、ファンの為に(あるいは制作陣が作品にケリをつけるために)新劇場版でストーリーを補完して完結させましたって感じがします。

昨日(3/28)のシンエヴァ舞台挨拶でのシンジくん役の緒方恵美おがためぐみさんの「庵野あんのさんおめでとう(本当にお疲れ様)って送り出したイメージ」っていうのがそういう意味ではとても分かる気がします。

 

自分と向き合うきっかけになるなら

結構上から目線みたいな感想を書いてしまって全然そんなつもりはないんですが、価値観や視野のアップデートをするきっかけ、自分の心やこれまでの人生、「今」、他者との関りかたと向き合うきっかけになるんだったらエヴァは本当に素晴らしい意味のある作品だと思います。

人には色んな気づきの段階があるので、同じ視点か1個上のものしか刺さらない(頭に入ってこない)んです。

例えば小学1年生に算数を教えるのに東大の数学者である必要がないのと同じで、逆に数学を極めた人なんかが1+1を説明すると専門的になって余計伝わらなくなってしまうじゃないですか。1個上の家族のおねえちゃんが算数を教えてくれた方がその子はよっぽど相手の言ってることが理解できるじゃないですか。

「言ってることが理解できる」っていうのは自分のいる次元と同じか1個下あるいは1個上くらいの段階しか難しいんじゃないかなと思います。

そういう意味で、エヴァのメッセージが刺さる人っていうのは、精神的に自我に目覚める素晴らしい段階・素直な次元まで上昇できていたからこそ受け取れたのだと思います。

自分と向き合う余裕のない人がエヴァを観ても「凝った映画だな」「アクションがカッコイイな」「最後どうなるの」「よかったね」「ここがこれのオマージュなのね」くらいの感想止まりでその人の思考を一時的に娯楽として満たしただけで何の影響も与えない作品ということになってしまいます。

エヴァという作品に意味を見出すのはその人次第だなと思いました。
どんな作品・事象に対しても言えることですが。

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