本当にやりたいことをする

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昨日は春分の日でした!
春分の日は宇宙元日(元旦)っていうらしいですね。

最近の時代になってYouTuberやインフルエンサーやSNSでの活躍など個人が多くの人の目に見える形で発信活動ができるようになったお陰で、会社や事務所などの組織に属するよりもの力が強くなって、「やりたいことを仕事にする」とかいう言葉がより現実味を増したんじゃないかなと思います。

今回はそんなたいそうテーマについて書いてくわけではなく、自分の趣味だったり生活の一部でも何でも、これは本当にやりたいことか?と考え直すというか気づいて自然に自分の魂がやりたいことを選んで過ごしていけば人生ってとっても豊かだよなあってつぶやきです。
 

精神的に「自立」してますか?

まず今回のテーマで私が言いたいことが頭に入ってくる人とそうでない人との違いとして、精神的に「自立」しているかどうか、地に足つけて生きているかどうか、あるいは「自立」とはどういうことかを理解しているかどうかで分かれると思います。

わたしも昨日今日「自立」という言葉に別の意味があるんだって考えるきっかけに触れたんですが、普通の人は社会的な自立という意味でしか自立って言葉を使わないじゃないですか。でも私がアニメを見るような感覚でいつも楽しく見てるスピ系・宇宙系のYouTubeで「これからの時代は本当に自分が心からやりたいことをやる、自立して、地に足つけて生きる時代です」って言ってて、ここで言う「自立」と「地に足つけて」って多分社会的に使われてる意味とは真逆じゃん!思ったんですね。

私たちって金銭的にとか親からの自立、仕事ができるという意味でしか自立って言葉使わないじゃないですか。
その視点で言ったらスピリチュアル系とか宇宙人っぽい頭のネジ飛んでてフワフワした人たちこそ自立してない・地に足つけてないって思われちゃいかねないですよね。

でもスピリチュアル的視点での「自立する」って、自分の心からしたいことがわかる、自分で判断して行動ができるってことなんですよね。
そうなると、世の中で一生懸命社会の歯車となって働いている人たちの大半は理性でしか行動ができなくて、自分の心と向き合う余裕もないし、人からどう見えるかだったり金になるかならないかロジカルに頭を使うことに依存して判断して行動していますから、ちっとも自分の心で判断して行動してない、つまり心はないがしろで自立してない・地に足つけてないってことになるんです。
頭(理性)で判断するのが大人だと思って育ってきたら無難に社会的にならざるを得ないですよね。

いつも何をするのにもこの選択は頭(理性)からの判断か?心からしたいことか?と気づけるかいう話です。

 

頭で判断して失敗した学び

かけがえのない過去の大事な経験を「失敗」と名付けてしまうとちょっと語弊がありますが、私がいままで心の声よりも頭で考えた理屈を優先して決めたことで失敗したこと、結局自分の性に合わなくて続かなかったことを参考までに書いておこうと思います。

私は中学校の部活で吹奏楽部だったのですが、外部講師の先生(以下K先生)が厳しい人だったけど熱い人で大好きで、私も指導されたこと素直に受け止めてめちゃめちゃストイックに練習して、東関東大会が終わるまで練習記録ノートを交換ノートみたいな感じでK先生とやり取りしていて、3年生で部活を引退するときにK先生がノートに「高校の部でも活躍する○○(私の名字)が楽しみです」って書いてくれただもんで、私は高校こそバスケ部に入るぞとか思っていたのにK先生の期待に応えたい!と思って高校でも吹奏楽部を続けることにしちゃったんですよね。

でも入学が決まってた高校は吹奏楽部の強さなんて全然重視して選んでなかったというかむしろ進学校・受験優先・部活は趣味みたいな雰囲気を感じていたので、絶対ここの吹奏楽部では中学の時のテンションでやっていっても周りとの温度差でつまらなくなるだろうって思ってました。
それでもK先生と約束した(?)から吹奏楽部に入って、案の定の雰囲気ではあったけどなんとか私なりに先輩たちの尊敬できるところや部活の良いところをみつけて自分を鼓舞して周りの緩い雰囲気に同調せず私だけストイックに練習続けてて、私はそれで楽しかったんですが、見ている周りの部員はそうではなかったみたいで、あるとき呼び出されました。

なにを言われるのだろうとおもったら「怖い」「私たちはあなたと違ってプロを目指してるわけじゃない」「合奏のときも睨まれてるみたいで怖かった」「あなたが部長になるなんて絶対に嫌だった」って同じパートの先輩同輩から言われてそこで初めてこんなこと思われてたんだって気づいて何も言い返せずごめんなさいって泣きながら言ってそこでストイックな自分はプッツンと切れてしまいました。そこからはもう部活には遊びに行ってるみたいな感覚になってきて(練習はするけど)、私が部長になってからはよく副部長にふざけすぎって怒られていました。

以上のエピソード、全部私がやりたくて選んだことの結果ではあるんですが、ストイックであるべきだとか期待に応えたいとか「頭で判断したこと」なんですよね。だからいつも無感情にただただ課題をこなすような感じで部活をしていてそれで同じパートの人に嫌な思いさせてしまっていたんですよね。

ぶっちゃけ全然音楽を楽しんでなかったと思います。自分は吹奏楽が好きで楽しんでると思い込んでただけだと思います。当時の私は先生に言われたことや楽譜に書いてあること忠実な奴隷だっただけなんです。興味もないけど勉強熱心なのは「いいこと」だと思って有名な楽曲片っ端から聴いて関連書籍も漁って…ってやってたけどクソの役にも立ててなかったと思います。

あとは進学校だから流されて大学進学して消去法で法学部選んで無難に公務員でも目指そうとしたけど全部続きませんでした。

…そんなようなこと、ツイッターでもゲームでもオタク活動でも人間関係でも仕事でもダイエットでも美容でもめちゃめちゃありました。
 頭で考えて選択したことってそりゃあ続かないわな、心が求めてないんだもの って今ではわかります。

 

私が本当に自分がやりたいこと

基本的に同じことをずーっと続けるって不自然なことかもって最近思うようになりました。
どんなにマイクラ(ゲーム)が好きでもずっと続けるのはしんどいんですよね。
ずっとできるってことはそれこそその人の才能だと思います。

美容が好きでも私は常にダイエットしているわけではないし、自分の持っている軽薄な美容情報に価値があるとも思えません。
コスプレ関連のこと(写真の編集や発信や衣装やウィッグの準備や宅コスやメイクの練習や撮影)を常にしてたいわけでもないのです。

だからその時々で 自分の心が・身体が求めたことが本当にやりたいことだな って認識で自分と向き合って日々の行動を選択しています。
仕事や何かでストレスを抱えると自分の心と向き合う余裕がなくなって普段思ってもないこと(ジャンクを食べたり、愚痴ったり、心に悪影響なコンテンツに触れたり、やりたいことなのにやる気をなくしたり)してしまったりしますから私も完全に自分の心と向き合えてるわけではないですが。

人生をかけてやりたいことというのはまだわからないんですが、こうやって自分の思考や感情を利害関係なしにストレートにつぶやくのは好きなので、それを見たり聞いたりしてくれる人に対して烏滸おこがましいんですが何か共感や気づきや何かのきっかけを与えられたらそれが人生で一番嬉しいことだなと今は感じています。

結局人間って人との深いコミュニケーション(真実や愛を伝え合うこと)で満たされるんだろうなって気がしてきました。
まだこの宇宙のことはわからないけれど、自分という人生を生きるために、楽しむためにこの地球に3次元の肉体を持って生まれたと思って 日々の選択には素直でありたいな って思います。

最後に数年前の画像ですが大坂なおみ選手の私が大好きな画像貼りますね。
大坂なおみ選手18歳名言やりたくないことやってる暇はねぇ

2021年、これから毎年がみんなにとって人生最高の一年になりますように💛

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