私の初めてのコスプレは黒バスの黄瀬くんでした。
私がコスプレをするようになる前は、ただのアニメ漫画好きでコンテンツを消費するだけのオタクで(今もそうであるとも言えますが)強いて言えば夢女として黄瀬くんにガチ恋してそれを恥じもせず周りにアピールして生きていました。
そのように振る舞うことで私の脳内では本当に黄瀬くんという存在を近くに感じていた気がするし、毎日がシャララと輝いて見えたし生き生きとしていたように思います。
10人にも満たない当時のオタク友だちが私が黄瀬くんを好きでいることを認知してくれているというだけで楽しかったんでしょうね。
そんなある日アニメイトでいつものように黒バスグッズを漁っていたときにACOS製の海常ユニフォームを買ってしまったのが事の始まりとなりました。
初めてのコスプレ
コスプレ文化をあまりよく知らなかったので、海常ユニフォームを買った理由も「黄瀬くんのグッズが目の前に売ってたから」でしかなかったと思うんですよ。
最初はユニフォームしか買ってないのでただそれを持っているだけで満足していたし、鑑賞用だったかもしれません。
そしてあるときそのユニフォームを着てみたりなんかして。ウィッグもないし男装用の胸潰しもしないで。
そしたら「いつかウィッグも揃えてみてもいいかな」とか思うようになったりして。
そんなような流れで私は黄瀬くんのコスプレを着るにいたりました。
当時の感覚としては 大好きな黄瀬くんを近くに感じたい ただその延長線だったのだと思います。
コスプレをする理由その1
4年前の自分のつぶやきで面白いのがありました。
漫画に出てくる美しい黄瀬涼太に憧れ、崇拝し、その黄瀬涼太像にトランスして生きていました。
なぜそんなことを始めたのか、よく覚えていません。
でもはっきりと言えるのは、自分自身が黄瀬の格好をして黄瀬そのものになりたいわけではなく、
その魅力を分析し、再現したかった、ということです。 pic.twitter.com/vEJ1qLymTV— A$CE(えーす) (@sha1ala7) June 29, 2017
映画に出てくる美しい女優さんに憧れ、崇拝し、その女性像にトランスして生きていました。鏡の前に陣取り、映画で見た女優の仕草をしてみたり、雑誌で見たモデルのポーズを真似したり、学校からの帰り道、黒澤明監督の映画『乱』の台詞をぶつぶつと、つぶやいたりもしました。 なぜそんなことを始めたのか、よく覚えていません。でもはっきりと言えるのは、自分自身がその女優になりたいわけではなく、女性の格好をして女性そのものになりたいわけでもない。その魅力を分析し、再現したかった、ということです。まだ自分の想像力のアウトプット方法を見つけていなかったので、空想の中で僕は、女優に演技をさせていました。
美女の正体/下村一善
この感覚に近いなと私は思ったんです。
その魅力を分析し、再現したかった
これに尽きるのではないでしょうか。
また、まだ自分の想像力のアウトプット方法を見つけていないというのも確かなことだなと今ではわかるようになりました。
我々コスプレイヤーは自分の想像力のアウトプット方法がコスプレに行きついたものだと思い込んでいますが、私個人としてはそれだけでは長く続かない空虚な趣味(表現活動)だなとも最近は感じています。
コスプレをする理由その2
ちょっと恥ずかしいのが楽しい。
いまでこそコスプレは恥ずかしいものではない認識がされてきていますが、それでも自分の顔と身体を晒して好きなキャラクターのコスプレを(次元の壁も性別の壁も人種の壁も超え、顔や髪型だけでなく身長や骨格や体型が違うにも関わらず)しちゃうってまあまあ恥ずかしいし勇気のいることじゃないですか。
でもそのちょっと恥ずかしいけど勇気を出してやってみたのが人と共有できたときの嬉しさ楽しさドーパミンってのは普通の遊びの比じゃないと私は思います。
何年もコスプレを続けているけれど、毎回が特大ビッグイベントのように感じます。
そんなのハマっちゃって楽しいからまたやりたい!ってなっちゃうじゃないですか。
コスプレ友だちとの絆が深いのも、ある程度自分の恥ずかしいところ(趣味嗜好など)をさらけ出して一緒にそのコスプレの予定という特大ビッグイベントを共同作業で乗り越えるからだと思うんですよね。
大好きな作品の大好きなキャラクターのコスプレをしているその間はそのキャラとして見てもらえる、自分を認識してもらえる、これはすごいエキサイティングな体験です。
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